仙台高等裁判所 昭和41年(う)170号 判決 1966年12月27日
被告人 高橋たけの
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人広野伸雄名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意第一点ないし第三点(事実誤認および法律の解釈適用の誤りの主張)について
論旨は、これを要約すると、被告人は、佐々木A子を姙娠の有無について診察した際、子宮口(入口)に不正出血があり、その周囲が汚染されているのを認めたので、そこをヨードチンキをしみ込ませた綿棒で消毒したにすぎないものであつて、右処置は助産婦のなすべき、その業務に当然附随する正当行為であつて、罪とならないというに帰する。しかし原判決挙示の証拠(ただし差し戻し前の第一審第二回公判調書中証人瀬戸重雄の供述記載を除く)によれば、原判示事実はこれをゆうに認定しうるのであつて、記録を精査し、当審における事実取調の結果に徴しても、原判決に所論のような事実誤認は存しないし、また法律の解釈適用の誤りがあるとも認められない。すなわち、右引用の証拠によれば、佐々木A子は昭和二九年三月一八日に長女郁子を分娩した後一度も月経がなくかつ乳首が痛むなど姙娠の徴侯に似た変調があつたため、同年一〇月一二日、かねて実家からお祭りに招かれていたので、実家に出向くついでにその近くで助産婦をしている被告人に診察して貰い、もし姙娠していたら実家に相談して病院で中絶手術を受けようと考え、長女を背負つて被告人方に立寄り、右体調を告げて診察を求めたところ、被告人はA子を二階の部屋に通し内診した結果、A子が姙娠していないのに姙娠三カ月であると誤診して、その旨A子に告げ、かつ以前から子宮内膜にヨードチンキを塗布して堕胎する方法を一度試めしてみたいと考えていたので、A子に「三〇分か四〇分で簡単にできるから」といつて堕胎することを勧めたところ、これに応じたので、A子を同所で仰向けに寝かせ、クスコーを挿入して膣腔を広げ、綿棒に綿を巻いてヨードチンキをしみ込ませ、これをクスコーを通して開口していない子宮口(外子宮口)から子宮内に挿入して、その内膜にヨードチンキを塗布する操作をくりかえし行い、その際A子は右操作により子宮等が苦しくなり、次第に痛みが激しくなつて耐え切れなくなつたので、被告人に「とても痛くて我慢ができないからやめてほしい」といつたが、被告人は「我慢しなさい」としかるようにいつて、なおも右操作を継続したところ、A子は被告人の右言により我慢する気持になつたものの、依然痛みが激しくて耐え切れず、被告人に「このままで子を生むから」といつて、右操作の中止を求めたので、被告人がようやく右操作を中止したものであり、なお、その操作に約二、三〇分の時間を要したこと、A子は当日午後二時頃まで婚家で家人と共に稲刈りをしており、午後三時二〇分頃発のバス一五分位乗り、さらに五分位歩いて被告人方を訪れ、前記被告人の施術を受けたものであつて、右施術前は格別の異常はなく健康体であつたが、その施術後被告人方で休んでいる中に子宮と腹のあたりの痛みがますます加わり、さらに悪寒を催すようになつたので、被告人に伴われて広岡医師の治療を受けに行くことになり、前記長女を被告人に背負つて貰い、普通徒歩で五分位で行けるところをその倍以上もかかつて同医師のもとに行つたこと、同医師がA子を診察した際、A子は非常に弱つており苦しそうな顔をしていたことなどが認められる。原判決の引用証拠中被告人の司法警察員に対する各供述調書記載の供述の任意性については、これを疑うべき証跡はなく、(差戻し前の第一審の前掲証人瀬戸重雄の供述記載参照)、右被告人の供述および同第一審第二回、第一一回各公判調書記載のA子の証言中所論被告人の施術行為に関する部分は、互にほぼ一致し、その間に不合理不自然と目される点もないのであつて、信用するに値するものと認められその他論旨指摘の各証人の供述部分の真実性に関する原判決の判断にも誤りがあるとは認められない。ところで、被告人は、当審公判廷において、被告人が前記施術を行うにあたり、A子の腰の下に座布団を二つ折にしてあてがつたうえ、クスコーを挿入して膣腔を広げたところ、子宮口が見え、なお右施術に用いた綿棒は押収された綿棒二本(長さ一五・二糎のものと長さ一四・六糎のもの)(証第四号)のうちのいずれかであると述べている。次に証人山口竜二の当審公廷における供述によると、膣の長さは個人差はあるが通常前壁において約七糎、後壁において約九糎であり、子宮は外側から順次外子宮口、頸管、内子宮口および子宮体腔の各部分より成り、受胎していない子宮内壁の長さは約七糎であるが、外子宮口を含む子宮の一部(子宮膣部)が膣腔内に出ているので、婦女を腰枕を入れて仰臥する体位に置き、クスコーによつて膣腔を広げれば、外子宮口を見ることは容易であり、かつクスコーを通して前記各綿棒の先に綿を巻いてヨードチンキをしみ込ませ、これを外子宮口からその内部に挿入して少なくとも膣管の中まで到達させることは可能であり、したがつて、被告人がA子に対して行つたところの、クスコーおよび右各綿棒のうちのいずれかを使用して子宮内膜にヨードチンキを塗布したという前記施術は、その用いた綿棒を内子宮口を通して子宮体腔まで到達させたかどうかの点は別として、技術上可能のものであることが明らかである。しかして、一介の助産婦にすぎないもので、もとよりその業務に属しない子宮内の施術に習熟しているとは認められない者が、姙娠を中絶する目的をもつて、相手方が苦痛を訴えるにもかかわらず、叙上のごとき施術を行なうことが、その姙娠が誤診によるものであるといなとを問わず、全然無害であるとは経験則上考えられず、されば鑑定人村上次男も、昭和三八年三月三〇日付鑑定書において、「術者が習練において欠けるか又は注意において欠けるところがあつて、小型の綿棒で子宮腔内にヨードチンキを塗布すると、これらの欠陥の程度によつて、ときに子宮壁に穿孔を来させる可能性がある」との見解を示しているのであつて、被告人の行つた前記施術が衛生上危害を生ずる虞れのある行為であることは明らかである。
従つて、被告人の右施術は、助産婦として適法になしうる臨時応急の手当ないしその業務に当然附随する行為とは認めがたく、医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずる虞れのある行為に該当し、したがつて、保健婦助産婦看護婦法(第三七条)違反の罪を構成するものといわなければならない。論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法第三九六条により本件控訴はこれを棄却し、同法第一八一条第一項本文により当審における訴訟費用は全部被告人の負担とし、主文のとおり判決する。
(裁判官 有路不二男 寺島常久 西村法)